女神杯に向けて、広報からの要望で
最近大きな試合が組まれていない選手を中心に取り上げていきたいとのこと。
となれば、出場選手の中で真っ先に候補に挙がるのは
もちろんマーズ野々村。
3年近く日本での活動はなく、帰国して即女神杯に参戦となれば
野々村を知らないお客さんがいてもおかしくないですからね。
というわけで、今回は野々村についてふりかえりたいと思います。
マーズ野々村。
デビューはヴァンプや姫小路と同じ2005年。
キャッチフレーズである「天才」の名に恥じず、
新人時代はヴァンプと姫小路2人がかりでも勝てなかった逸材で
その頃からどんな相手にも合わせた試合が出来た
まさに万能型。
しかし、天才にはありがちな事なのか協調性に欠け、
1人で動く事を良しとしていたため
そんな野々村の後見に抜擢されたのが
イギリスマット界の至宝、ラシェル・フォルゴレ。
全盛期を過ぎたとはいえ、重鎮が野々村の下についたというのは
当時かなりの衝撃でした。
しかし、誰かの下で型にはめるよりは
自由にやらせて才能を伸ばそうという思惑から
彼女は野々村をリーダーに抜擢。
その目論見は見事に当たり、2人のチームはすぐ頭角をあらわす事に。
そこへ、野々村に惚れ込んだユーリが加わって「D&D」となり
更に成田も加わって4人になってからは
「ナイトメア」との抗争に突入。
人数的には圧倒的不利のD&Dが互角の展開を繰り広げたのでした。
ここまでは、まさに順風満帆。
天才の名に恥じない活躍ぶりだったのですが・・・
そんな野々村のプロレス人生に狂いが生じたきっかけが
新王者、スパイダー菊池による三人抜き防衛戦。
麗雫、薬師寺いろり、そして野々村が連続して菊池に挑むという
今にして思えばずいぶんと無謀なタイトルマッチ。
とはいえ、いろりはこの試合がデビュー戦(になる予定)だったし、
当時の麗は今ほど注目されてはいなかったため
勝負の行方は3試合目・・・
いや、野々村でも厳しいだろう、そう思われていました。
しかし、そんな予想を覆し
1人目の麗がまさかのタイトル奪取。
東女の新たな歴史のスタートといっても過言ではないこの事件。
これが、野々村にとっては「迷走」の始まりとなります。
※なお、この時麗が勝った要因としては
イベント報酬があまりにも釣り合わなかったため
多くの人が走るのを諦めた、もしくは意図的に走らなかった
という声が当時は多かったと記憶しています。
その後、麗にタイトルマッチを挑みはするものの返り討ちに。
更に悪い事は続き
試合中、場外へ飛んだ際にバランスを崩した野々村。
顔面からイスにつっこんでしまい、眼底骨折と脳しんとうという結果に。
幸い、選手生命に関わるほどの怪我ではなかったものの
この怪我の療養中に思う事があったのか
怪我からの復帰後、野々村は凶獣へと移籍。
D&Dは解散することに。
このとき、ユーリは野々村について行き、
成田、そして入ったばかりだった兎角はこの後サンモニへと移籍。
しかし、この凶獣での活動も長くはありませんでした。
なんと、2ヶ月後には凶獣を脱退。
しかもこれまで野々村を慕ってついてきたユーリを置き去りにして。
このとき、タッグで戦う約束をしていたこがねが激怒して野々村を待ち伏せ。
道場で戦う事となりますが、結果はこがね惨敗。
これ以降、野々村はしばらく姿を消すこととなります。
そして再び野々村が姿を見せたのが約1年後。
そこはアメリカ、RLoWのマットでした。
そして今に至るというわけですが、現在は加藤の家に居候中。
加藤からは、ユーリや成田についてひとこと言われはしたものの、
それ以上深くはつっこんでいない様子。
まあ、彼女達からも会いに来ないということは
そういうことなんだろうと、野々村は特に気にしていないようで。
そして、肝心の女神杯について。
なんかまた誤解されそうな言い回しですが
楽勝な相手という意味でごちそうさまというわけではなく、
帰国第一戦がメインになったという意味でのごちそうさまなんでしょうね。
とはいっても
結局「おいしい」って言っちゃってますけどね!(^^;;
でも、パワーメインの試合でも合わせられるというのは嘘じゃないんでしょうね。
北村さんに引導を渡した事実もあるし、
何より、アメリカにはそういう選手、日本より多そうですしね。
あと気になるのは、女神杯が終わった後の行動ですけど
「トラブルさえ起こらなければ」しばらく日本にいるつもりとか。
・・・うん、フラグにしか見えないw
個人的には、小原さんとの試合の行方よりも
ユーリとの人間関係の方がどうなるのかハラハラしてるんですけど
ホント、どうなるんでしょうねー(^^;;