無題

昨日(暦的には既におとといになりますが)、父の葬儀を無事終えました。

(色んな手続きはまだ残っているのですが)

ツイッターおよび、当ブログにて

お悔やみの言葉を贈っていただいた方々には感謝の言葉を。

 

とりあえず今後の予定ですが

当ブログの更新は明日から再開したいと思っています。

ただ、お休み中にあったリンドリのイベントを

すべて補完するのはさすがに厳しいので

絞り込み検索に絡む内容のみ(具体的にはワンマッチと後日談の計2件)

更新することになると思いますがご了承ください。

 

そして、それ以降についてですが

そもそも当ブログの更新は、

父の介護の合間に準備をしておいて

日付が変わったら更新するスタイルでずっと続けてきました。

ただ、父が亡くなったことで

おそらくは勤務シフトが変わることとなるでしょう。

なので、もしかしたらその影響で

毎日更新が不可能となる・・・かもしれませんので

それだけは事前にお伝えしておきます。

極力、更新を途絶えないよう心がけるつもりではいますが

更新が途絶えた場合はその辺りを察していただければと・・・。

 

 

これ以降は、遺族の長い独り言となりますので

どちらかというとスルー推奨な内容です。

そんな内容を書き綴っておいてなんですが

コメントは無用に願います。

 

定年退職して、あとは余生をのんびりと過ごすだけ。

それなのに、父は泥酔したあげくに誤嚥性肺炎を起こし

生死の境を彷徨いました。

この時は、幸いにも命をつなぎ止めたわけですが

それ以降も肺炎による入退院を繰り返す事に。

 

そしてそのさなか、

父は遺伝性筋疾患「筋ジストロフィー」を煩っている事が発覚。

これが、父の長い闘病生活の始まりとなります。

いずれは自力で食事が出来なくなるということで

胃に直接栄養を送り込めるように胃ろう手術を行いました。

しかし、これによって父は食事の楽しみを失う事に。

 

それに、術後間もない頃はまだ自力で動く事が出来たため

食事のたびに1時間近くじっとしているのが父には耐えきれず

食事中に動き回る父に翻弄されることになります。

ただそれも、液体のものからゼリー状のものに変更する事で

食事の時間を大幅に短縮することが出来て解決したわけですが

次第に筋力が衰えていった父は

その対策がなくとも自力で移動することが出来なくなっていきます。

 

筋力の衰えは進行する一方で、

しゃべる事すらも辛くなっていく父。

しかし、そのしゃべる事すらも封じられる事となります。

尿路感染および誤嚥性肺炎のダブルパンチにより心肺停止状態に。

この時は幸いにも、心臓マッサージによって

こちらへと帰ってきてくれました。

ただし、筋力は更に低下して自発呼吸すらも厳しい状態となり

ついには人工呼吸器に頼らざるを得ない羽目に。

この呼吸器を取り付けるためには喉に穴を開けなければならないため

父の命と引き換えに、父の声が奪われることとなりました。

それでも、生きながらえてくれるなら。

家族ならそう思って当然だといいたいところですが

本人からすればそうではなかったのかもしれません。

次第に意思の疎通も困難になっていきます。

 

それから約半年、またもや容態が急変。

今回は血糖値が1300を越え、

それによって脱水症状まで起こしている状態とのこと。

とはいえ、今回は心肺停止なんてことはなく

2ヶ月の入院生活の中で次第に血糖値も落ち着いていきます。

入院中に父の好きな曲をスマホで流したのが良かったのか

しばらく意思の疎通も出来なかった父が

こちらの言う事に頷いてくれるようになり

快方に向かっていると確信。

 

そう思った翌日でした。

父が心肺停止状態に陥ったと連絡があったのは。

・・・そのまま父は帰らぬ人となりました。

 

「また来るね」

それが、父とかわした最期の言葉でした。

亡くなった日の前日、見舞った時には

あんなに意識がはっきりしていたのに、

一体父の身に何が起こったのだろうか。

見舞いに来た私に向けて左手を上げて

私の手を弱々しい力で握った父。

あのとき、父は私に何かを伝えたかったのだろうか。

今となってはそれもわかりません。

 

父がまだ呼吸器を付ける前、

父の車椅子を押しながら

「暖かくなったらまた散歩しようね」

そうかわした言葉も、ついにかなえられぬままとなってしまいました。

 

結局、父が定年してからゆっくり出来た期間はほんの1年足らず。

それからの約7年は病との戦いでした。

「たとえ病気でも生きてさえいてくれたら」

それが家族としての正直な気持ちでしたが

当の本人はこの長い闘病生活をどう思いながら過ごしていたのかと考えると

延命措置を施したのは、実は誤りだったのではないか?

苦しみを長引かせただけなのではないか?

そんな風にも思ってしまいます。

 

今となっては、父がどう思っていたのかはわかりませんが

最期に一言伝えられるのであれば・・・

長い闘病生活を強いる事になってしまってごめんなさい。

 

安らかにお眠り下さい・・・とはいいません。

ここ数年、眠ってばかりの生活だったのだから。

あの世でまた、うまい酒でも呑めていたら・・・と願うばかりです。